どのようにしてあなたの元へ富はやって来るのか?
受け取る金額以上の「価値」を相手に与える
「ずる賢い取引をする必要はない」と私が言ったのは、「一切の取引が不要」だとか、「社会と関わらなくても生きていける」という意味ではありません。私がお伝えしたいのは、「誰かと取引をする際、相手を不当に扱う必要は一切ない」という事実です。タダで何かを手に入れる必要はありませんが、あなたは相手から受け取る以上のものを、相手に与えることはできます。
もちろん、あなたが受け取る金銭的価値よりも多くの現金を相手に与えることはできません。しかし、受け取るものの金銭的価値をはるかに上回る「実用的な価値」を与えることはできます。
例えば、この本に使われている紙やインクの原価は、あなたが支払った金額に満たないかもしれません。しかし、この本に書かれたアイデアが、あなたに何千ドルもの利益をもたらすとしたらどうでしょう。本を売った人はあなたを騙したことにはなりません。彼らは、わずかな現金と引き換えに、あなたの人生を豊かにする計り知れない価値を渡したのです。
その取引は、相手の人生を豊かにしているか?
別の例を挙げましょう。私が偉大な画家の絵を持っているとします。文明社会において、その絵には何千ドルもの価値があります。しかし、その絵を極寒の地に持ち込み、言葉巧みにエスキモーを説得して、500ドル相当の毛皮と交換させたとしたらどうでしょう。私は彼に対して、実にひどい仕打ちをしたことになります。
なぜなら、彼にとってその絵は何の役にも立たないからです。その取引は、彼の人生を少しも豊かにしません。
しかし、毛皮と引き換えに、私が50ドル相当の「銃」を渡したとしたら話は別です。彼にとって素晴らしい取引となります。銃を使ってより多くの毛皮と食料を手に入れられることでしょう。あらゆる面で彼の人生を豊かにし、繁栄をもたらしてくれます 。
あなたが「競争」のステージから「創造」のステージへと移行すれば、自分の取引を正しく吟味できるようになります。もしあなたが何かを売っていて、それが相手の支払う価格以上に相手の人生を豊かにしないのであれば、その取引はやめるべきです。ビジネスで誰かを打ち負かす必要はありません。もし、誰かを犠牲にするようなビジネスをしているなら、今すぐそこから手を引くべきです。
従業員には「給料」以上の「成長」を与えよう
あなたが受け取る金銭的価値以上の実用的な価値をすべての人に与えましょう。そうすれば、あなたはすべての取引を通じて、世界全体の生命を拡大させていることになります。
従業員を雇っている場合も同じです。支払う賃金以上の金銭的価値を彼らから受け取る必要はあります。しかし、あなたは自分の事業を「発展の原則」で満たすことができます。従業員一人ひとりが、あなたの事業を通じて毎日少しずつ前進し、成長できるような仕組みを作るのです。
この本があなたに「豊かになる道」を示しているように、従業員にとっての「豊かになる道」を示すのです。あなたの事業は、意欲ある従業員が豊かさに向かって登っていける「ハシゴ」のような存在にするのです。機会を与えられても登らない人がいたとしても、それはあなたの責任ではありません。あなたは、ハシゴを用意するだけでいいのです。
欲しいものを創り出す「確実な方法」
「富は形なき物質から創造される」と言いましたが、それは富が空中から出現するという意味ではありません。
例えば、あなたがミシンを欲しいとします。あなたは部屋に座り込んでミシンのことを念じていれば、何もない空間から突然ミシンが物質化する、ということではありません。
そうではなく、ミシンが欲しいなら、まず「ミシンは確実に作られ、自分の元へ向かってきている」という絶対的な信念を持ち、そのイメージを心に抱きましょう。一度その考えを持ったら、あとは「必ず手に入る」と信じて疑わないことです。考える時も、口に出す時も、「ミシンはすでに自分のものだ」と確信を持って振る舞うのです。
そうすれば、人々の心に働きかける「大いなる知性」の力によって、既にある社会システムが動き出します。あなたがメイン州に住んでいるのなら、あなたの望みを叶えるために、テキサスや日本から誰かが導かれ、最終的にミシンがあなたの手元に届くような取引が成立するでしょう。
そのプロセスは、あなたにとっても、関わるすべての人にとっても有益なものです。
忘れないでください。「思考する物質」は、すべての物の中に存在し、すべてと繋がり、すべてに影響を与えます。「より完全な生命」「より良い暮らし」を求める思考する物質の願いが、これまでに何百万台ものミシンを作らせてきました。そして今、あなたが信念を持って「確実な方法」で行動すれば、さらに何百万台ものミシンが作られるでしょう。あなたのための一台も、間違いなく作られます。
ミシンに限らず、あなたの生活や他人の生活を向上させるためのあらゆる物は、同じプロセスで確実にあなたの元へやって来ます。
「お金持ちになりたい」と望むのは悪いことではない
大きな願いを抱くことをためらう必要はありません。イエスもこう言っています。「小さな群れよ、恐れるな。あなたがたの父は、喜んであなたがたに御国(みくに)をくださる」(ルカによる福音書 12章32節)。
「根源的な物質」は、あなたを通じて、自らの可能性をすべて発揮したいと願っています。あなたが最高の人生を送るために必要とする、あらゆるものをあなたに持たせたいのです。
「富を所有したい」というあなたの願望は、あなたを通じて「生きたい」と願う、大いなる力の願望そのものです。この事実を深く理解すれば、あなたの信念は無敵になります。
私は以前、ある少年に出会いました。彼はピアノの前に座り、必死に鍵盤を叩いていましたが、思うような音が出せません。彼は本当の音楽を奏でられない自らの無力さに、悲しみ、苛立っていました。なぜそんなに悔しがっているのか尋ねると、彼はこう答えました。「僕の中では音楽が鳴っているのに、この手がうまく動かないんだ!」
彼の中にある音楽は、あらゆる可能性を秘めた「根源的な物質」の衝動でした。音楽そのものが、彼の手を通じて表現されたがっていたのです。
「神」すなわち「唯一の根源的物質」は、人間を通して生き、行動し、楽しもうとしています。神は人間を通じて、素晴らしい建物を建て、美しい絵を描き、世界中を旅し、豪華な服を着て、美味しい食事を楽しみたいのです。
神は、音楽の才能がある人には楽器を、美を理解できる人には美しい物を、真実を見極められる人には旅をして観察する機会を与えたいと願っています。衣服の良さがわかる人には美しく着飾ることを、美食を理解できる人には贅沢な食事を堪能することを望んでおられます。
これらすべてを神が望むのは、神自身がそれらを楽しみ、高く評価しているからです。音楽を奏で、歌い、美を楽しみ、真実を伝え、素晴らしい服を着、おいしい物を食べることを望んでいるのも神です。パウロが言ったように、「あなたがたのうちに働きかけて、その願いを起させ、かつ実現に至らせるのは、実に神である」(フィリピの信徒への手紙 2章13節)のです。
「清貧」という考えは捨てよう
あなたが「豊かになりたい」と願うのは、あのピアノの前の少年と同じです。あなたの中で、無限なる存在が自らを表現しようとしているのです。
ですから、大きな願いを抱くことを決してためらわないでください。
あなたの役割は、願いに意識を集中させ、表現することです。
しかし、多くの人にとって、これは難しいことです。「貧しさや自己犠牲こそが美徳であり、神に好かれる生き方だ」という考えを持っています。貧困は自然の摂理であり、資源には限りがあると思い込んでいます。神は自らの仕事を終え、創れるものはすべて創ってしまい、分け与えるものが足りないから、人々は貧しいままでいなければならない、という考えているのです。この誤った考えに固執するあまり、富を求めることを恥じ、ごく控えめな慎ましい生活を送るだけの収入で我慢しようとします。
ある学生の例をお話しましょう。彼は当初、非常に貧しく、借家に住み、毎日の生活費を稼ぐのがやっとでした。「すべての富は自分のものである」という事実を、どうしても信じられませんでした。しかし、望むものを明確にイメージし、その思考を形なき物質に刻み込む方法を学んだ彼は、まず小さな願いから始めることにしました。色々と考えた末、一番良い部屋に敷く新しい絨毯と、冬を越すための無煙炭ストーブなら、まあ妥当な願いだろうと決めました。
この本の内容に従って行動した結果、彼は数ヶ月でそれらを手に入れました。そして「自分の願いは小さすぎた」気づいたのです。
彼は自宅を見渡し、理想の家に改造する計画を立て始めました。「ここに出窓を作ろう」「部屋を増築しよう」と、心の中で細部までイメージを作り上げました。その全体像を心に抱きながら、確実な方法で生き、行動し続けました。
現在、彼はその家を所有し、イメージ通りに建て直している最中です。それと同時に、さらに大きな信念を持って、より大きなものを得ようとしています。彼に起きたことのすべては、彼の信念に応じてもたらされた当然の結果です。そして、同じことがあなたにも起こります。